【常設展】2018年3月 -March 2018-
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日本橋から85km。天下の険・箱根越えを目前に控えて、多くの旅人がこの地で宿泊。かなり規模の大きな宿場町だったらしい。
時は流れ、現代の旅人は、新幹線やロマンスカーに乗ってやって来る。食べ歩きをして、蒲鉾やういろうを買って帰る。
拙者の見たところ、この街の役人は、東海道よりもちょっと前の北條推しでござる。
小田原は、東海道の宿場町であると同時に、城下町でもある。
城を中心に、武家地が広がり、街道沿いには町人地が栄える。
当時の世相が偲ばれる旧町名が石碑となって残り、老舗の商店が存在感を示す。
小田原城と武家屋敷跡の西海子(さいかち)小路は、桜の名所。
ソメイヨシノと記されれば、機械的に分類された、単なる品種名という印象を持つ。全くつまらない。
染井吉野と記されれば、由来とか風土とか思いを巡らす。風情があって心地よい。
植木屋の多かったかつての染井の地は、現在の駒込あたり。名残が其処彼処に残っている。
都電荒川線に、昨年付けられた愛称が「東京さくらトラム」。
せっかくだから、フリーパスを買って、桜の季節に沿線を巡る。
トコトコ、のんびり、のどかな印象だが、とんでもない。車内はギュウギュウである。
考える事は皆一緒。自分も混雑の一因を担っている。
それでも、発車時の「チンチン」という鐘の音を聞くと、なんかほっこりする。
跨線橋がうねうねと波打っているのが、はっきり見えた。サーフビレッジ前の広場が水浸しとなった。各所で石垣が崩れたりヒビが入ったりした。
たかが震度4と言えども、只事でない事はすぐに解った。
事後、びっくりするほど迅速に、至る所に海抜や避難経路を示すプレートが設置され、浜には津波避難タワーが建てられた。
この7年間に、幸いそれらの備えが役立った事はない。その反面、正直かなり、風化した感が否めない。
無理矢理にでも、しつこく目を向ける。