【企画展】時の断層
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福島第一原発の事故から数年が経ち、帰還困難区域を除く大部分の地域は、避難指示が解除された。
再開した公共交通機関では中心部しか廻れない。目にしたのはほんの一部だけ。それでも状況は様々だ。
震災前と同じ生活をするのに制約はなくなったが、空白の両端を無理やり合わせても、うまく繋がらない。
竜田と浪江の間が現在も不通。代行バスが走っている。
帰還困難区域を跨ぐ便は2往復。窓の開放禁止。駐停車禁止。信号は全て青か黄色点滅。国道6号を一目散に通り抜ける。
交差する小径を含む沿道は、すべてバリケードで封鎖。その表裏には、6年の時差がある。
代行バスから降り立った富岡駅前。立派なロータリーが整備されている。
既に綺麗に埋め込まれた点字ブロックを辿ると、突然途切れている。駅舎はまだ建設中だ。
2017年10月頃に、いわき方面が運転再開する。所要時間も大幅に短縮され、便利になる。しかし・・・
住民をまるで見かけない。これじゃ鶴瓶も乾杯できない。その代わり、はたらくおじさんはいっぱいいる。
復興公営住宅が建設ラッシュ。ピカピカの新築物件が続々と完成している一方、津波で大破したまま手付かずの建造物も目立つ。
国道6号に面した東京電力の旧エネルギー館。まるでテーマパークの様に華々しい。避難を強いられた住民の目には、どう映っているのか。
空間放射線量は、東京の約6倍。3キロ先は、もう帰還困難区域だ。
駅周辺の中心部は、津波は免れたようだ。それは不幸中の幸いなどと、とても言えたものではない。
壁が落ちて梁が剥き出しになっている。建屋の間口が平行四辺形に歪んでいる。水平と垂直がよく分からない。
震度6強の烈震。とにかく街中が崩れている。瓦礫は片付けられているが、復興工事はまるで見当たらない。
あの地震さえ来なければ、趣のある住み良い街であっただろうに。そういう雰囲気は大いに感じる。
この町を知り訪れたきっかけが、震災であるとは、皮肉なものである。
自販機のタバコの銘柄と値段が、時の隔たりを感じさせる。
波江ほどではないが、ここも地震の爪痕が目立つ。
不自然な空き地があったり、明らかに最近建て直した民家であったり、荘厳な門をくぐった先が更地だったり。
それでもまだ、避難指示解除から10ヶ月ほど経っている事もあり、決して多くはないが人の匂いがする。
街で唯一再開している食堂は、昼時には行列が出来ていた。
高台の相馬小高神社の境内から見下ろした街には、初夏の爽やかな風が吹き抜けた。
7月下旬には、相馬野馬追の舞台となる。街じゅう馬だらけになる事は、想像に難くない。